
犯罪の風景(表紙)


犯罪の風景(コメント)


1968年12月10日、雨の朝、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、
この府中刑務所北側の路上で白バイ警官を装った男に襲われ、冬のボーナス、
約3億円を奪われる。1975年12月10日、大捜査にもかかわらず時効となる。


1969年2月20日、静岡県清水市内のキャバレーで金嬉老は金銭トラブルが元でライフル銃を乱射、
暴力団幹部とその部下2名を射殺。その後、大井川上流の寸又峡温泉「ふじみや旅館」に乗り込み、
16名を人質に篭城する。5日後、報道陣に紛れていた警察官により逮捕。
刑事の差別発言も問題となる。1975年11月、無期懲役が確定。
地図を見ると東京をお昼に立てば3時ごろ着く予定でいたが、東名高速を降りてから遠い遠い、
2時間以上山道を走った。何故彼がここに篭城したかが行ってみて解かった。
もうこの先道はなく、文字通りの行き止まり、袋小路の終着点であったのだ。


1971年2月22日、千葉県成田市三里塚において成田新空港建設に反対する一坪地主(111人)に対し、
第一次強制執行がはじまる。以後反対同盟の農民は地下要塞にこもり、中核派と反戦青年委員会
1500人は投石と火炎瓶で抵抗、375人が逮捕され、警官3人が死亡した。
この画面のすぐ左、道路沿いにひっそりと墓があり、花が捧げられていた。


1972年共産主義革命の急進グループ、連合赤軍は「総括」の名のもとに同士14名を殺害。
1972年2月7日、アジトで森恒夫、永田洋子ら8人を逮捕、残り5人は浅間山荘に立てこもる。
2月28日、10日間の持久戦の後、テレビの前で8時間の攻防、機動隊が突入、5人を逮捕する。
警察官5人が死亡、23人が負傷、民間人が巻き添えで死亡。森は東京拘置所で自殺。
永田、坂口に対し死刑の判決が出る。浅間山荘は修復後今も存在する。
1998年5月2日、軽井沢の山の中腹にある新しい別荘郡、地図にない道路を漠然と走ると
それと思える建物が見える。しかしなかなかそこにたどり着かない、道行く人に尋ねると
まさにあれですと言う、もう27年も昔の建物がそのままある。軽井沢のゴルフ場から遠くに
かすかに見える、今その事に気づく人は誰もいないだろう。

1989年11月3日、坂本弁護士、妻、都子さん、長男、龍彦ちゃん(1歳)が姿を消す。1995年9月6日、
3人の遺体を発見。1994年6月27日、長野県松本市、河野さん宅近くにサリンが蒔かれる。死者7人、
重軽傷者140人の大惨事となる。河野さんがこの時被疑者として扱われ、事件解明まで疑われる。
1995年3月20日、地下鉄、日比谷線、丸の内線、千代田線の各線で同時にサリンが蒔かれる。
死者12人、重軽傷者5,500人という大惨事となる。これら全てが松本千津夫の命令によって行われた
オウム真理教の犯罪。松本智津夫は現在、17件の容疑で起訴、裁判中。


1994年11月3日、横浜市鶴見区の京浜運河にある火力発電所の排水溝から、女性、女児、男児と
次々にビニール袋に包まれた絞殺死体が発見される。犯人は夫で医師の野本岩男(29歳)。
数千万の借金、複数の女性とのつきあいなどがあり、妻からの離婚話に逆上、次々に3人を殺害。
判決は無期懲役。


1995年9月4日、沖縄県北部にある金武市には米軍基地があり、在沖米兵マーカス・ギル(22歳)、
ケンドリック・モーリス(20歳)、ドロリコ・ハーブ(21歳)の3人は夜8時頃、買い物帰りの女子小学生を
車で誘拐、ここ米軍専用の海岸「ブルー・ビーチ」に連れ込み暴行する。翌年、那覇地裁において
懲役6年-7年の実刑判決がでる。沖縄においてこれまで米兵による婦女暴行事件は110件起こっている。
この事件がきっかけで地位協定見直しや、沖縄の米軍基地整理、縮小論議に発展する。


1997年5月24日、神戸市須磨区の小学生、淳君が行方不明となる3日後の27日、市立友が丘中学校
正面前に頭部が置かれていた。6月28日、中学3年生の少年Aが逮捕される。過去にも、小学4年生の
女児をハンマーで殴り脳挫傷で死亡させる。精神鑑定の結果、重度のサディズムとされ、
医療少年院送致となる。
